夢のログハウス作り回顧録

query_builder 2024/01/14
ブログ画像


今から36年ほど前に、人生最大のチャレンジと言っても過言では無い自力でログハウスを作ったことを回顧録(1989-1993)として掲載しますので、ご覧いただけると嬉しいです。

この時にネイチャーセラピーを経験し、自らの心の声を感じたことで、今のカウンセラー活動に繋がっています。

ドゥーパ

後にDIY雑誌『ドウーパ』の創刊号にも”夢のログハウス『男38歳、一念発起で作ったログハウス』『熱血サラリーマン、山田勉氏の完全手作りログハウス』”として掲載されました。

ドゥーパ記事

<ドウーパ記事文面>


『男38歳、一念発起で作ったログハウス』

『熱血サラリーマン、山田勉氏の完全手作りログハウス』

やればできるというものの、ことはそれほど簡単ではない。

個人輸入で手に入れたログ材を皮むきからはじめて丸7年。

毎週末、遠く離れた山奥でのハードワークは、まさに男の意地をかけての戦いだった。

しかし、戦いすんで日が暮れて、今、男はウッディの香りのするテラスで、ゆっくりとうまいコーヒーを飲んでいる。



「ある日、80本の丸太がやってきた。」


男38歳。

何かでかいことをやるには、そろそろ最後ではないかと思う。

気力、体力ともにまだまだとは言え、でかいことをやるには、とても大切な「情熱」が少しずつ薄らいでいることに気づくからだ。

本誌編集長の脇野が、家族と愛車と共々、アフリカ長期の旅に出かけたのも、30代後半ではなかったか。

山田さんのもとに長さ12メーターの米松丸太80本が届いたのも38歳の秋だった。

「どうしようと思いましたね。

まず積んできたトレーラーが家まで入って来れないんですから。」

長さ12メーターの巨大な丸太が80本でどれぐらいの量になるのか、材木屋でもなければ知る由もない。

当時の山田さんはコンピューターの営業職と言う普通のサラリーマンだった。

丸太を満載した連結車両総重量60トン以上、延長18メーターの18輪トレーラーが、山田さんの別荘地、山梨県白州町の山林の細い道まで入ってくるのは無理だった。

トレーラーはすぐに返さないと送料はどんどんかさんでしまう。

山田さんはすかさず麓に空き地を見つけ、家主を探し出し、わけを話して1週間だけと言う期限付きで借りることに成功。

「一度にドカンとおろすんですよ。」トレーラーは片輪を角材に乗り上げるようにして、いっぺんに80本の丸太を下ろすと、逃げるように帰ってしまった。

 後には文字通り、丸太の山と、「やるぞ!」と自らにいい聞かせる、半ばぼう然とした山田さんを残して…。


「土曜に顔を向き、日曜に組み上げの4年間」

ログ材となる丸太は1989年当時、12メーターもの1本で3万円。

山田さんはたまたまカナダ旅行中に知り合ったログ材のディーラーから個人で直接購入、1本1万円弱で手に入れられた。 

しかしそれからが大変。

「ニッケン(建機のレンタル屋)から4tユニック簡易クレーン付きの4t車)を借りてきて半分に切った丸太を6本ずつ運びました。それから皮むきもです。」

当時は3万円で売っていたログ材は、すでに皮むき済みだったが、山田さんの購入したは皮付きだったのだ。丸太の皮むきは両側にとってのついた刀のようなもので作業する。

一切の動力を使わず人力で行う。

まさにテレビドラマ「北の国から」を地で行く世界である。

しかも山田さんの場合は都会のサラリーマン。

仕事で疲れていても、とにかく金曜日の夜にはこっちに来てテント張り、土曜日1日で1本の皮を向いて、日曜日に刻んで組み上げる。そういう生活でした。

そうゆう生活を4年間。

取り付かれたように通っていましたね。

隣で話を聞いていた奥さんが当時を懐かしそうに振り返る。

他に娘さんが2人。女性3人の協力は無し?

その代わりに一切の邪魔をしないこと、行きたいだけ現場にいかせてあげる、と言うものだった。

こうして苦節7年で完成。

「屋根の骨組みまでこぎつけたときに、さすがにホロリときました。」

基礎まで自作したと言う、完成後2年のログキャビンを見せてもらった。

サドルノッチで丁寧に組まれていたフルログは細部まできっちりできていた。

プロでも処女作はこんなにうまくできないはずだ。

地元に住み、多くのログビルダーとも交流があるレポーターだが、彼らの多くが「ログは寒い」と言う。ログとログ、窓枠などの密閉性が悪く、冬は結構つらいのだ。

しかし、山田さんのログはおどろくほどしっかりしている。

冬でも暖かいのだ。30代後半、男の情熱が爆発した結果だ。


3


”夢のログハウス”回顧録-1

ことの始まりは、1988年に家族でオレゴンからバンクーバーに旅行した時に見たカナダのログハウス

アメリカから帰国後、そのログハウスが毎日のように夢に出てくるようになり、自力で建ててみようと思ったのがスタートでした。

夢冷めぬうちに立地場所を’88年秋頃から、毎週末に愛車のランクル60で山梨県と長野県の県境付近の山林を探し求めて約1年走り続けていました。

探し求めている時も自然にたっぷり癒やされ、仕事関係などでギクシャクした状況を改善できたようであった。

2

熱血サラリーマン時代から週末だけは無になれる時を過ごせ、いま思い起こせば自分見つめ(自己受容)や他者への関わり方に変化があったようです。

4


”夢のログハウス”回顧録-2

探した場所は、約30ヶ所あまり。
5ヶ所ほど目星を付けた土地があると、次の機会に妻に見てもらい承諾を得ようとするが、なかなか首を縦に振ってもらえなかった。

同行した際の妻も”癒やされる”と口癖のように言っていたな〜

6


”夢のログハウス”回顧録-3

土地を求めて1年後(89’夏)に、ようやく妻の許可が出た(*^ー゜)
場所は、山梨県北巨摩郡北杜市白州町の山林だった。

’89年夏、半径500m以内には誰もいない場所の山林の一角を地主さんより購入しました。


ただ、この土地までは車で入れる道路がないので、近くの林道から砂利道を作って、車で入れるようになるました。
この白州町は、長野県富士見町との県境にあり、南アルプス甲斐駒ケ岳の麓/標高700m位のところです。


・美味しい水、日本百選に選ばれている地下水があり、ふもと近くには、この水源で作られているサントリーのウィスキー工場もある。




8


”夢のログハウス”回顧録-4

アウトドア好きの友達も集まり始め、キャンプをしながらログを立てる部分の木を伐採したりして夢のログハウス構想をネタに酒が弾む。
愛車のランクル(ランドクルーザ60)は、4000cc/ディーゼル車でメカニカルウィンチ装備のとっても頑丈なマシーンです。


9


”夢のログハウス”回顧録-5

’89年の秋

トイレは、スコップで穴を掘り、用を足したら埋めるだけで仮設といってもシートで囲っただけ。。
女性がいるもんで!

食事が出来るテーブルとベンチなどを、買ったばかりのチェーンソーを練習かねて作ってみました。
 チェーンソーもプロ用で原付バイクと同じくらいの排気量エンジンなので、手強いです。


33


”夢のログハウス”回顧録-6

’89年の秋

秋雨の時期なのでテントを地面から離しターフを張って頑張るぞー!
てなことでどうせなら、寝泊まりできる小屋を造っちいました!


11


”夢のログハウス”回顧録-7

’89秋も終盤

オレゴン旅行で偶然知り合った林業に関わっていた方に問い合わせ約100本のダグラスファー(米松)を発注(日本の1/3の価格)したのが日本に届き、大阪港から18mトレーラーで運ばれて来たのを見て、圧倒!!


これを見て正直、ど~しよ~?? (えらいことを始めるんだ。。😂)


ところが問題が発生!!

トレーラーの運転手が、建築現場に行ってもらったら現地までトレーラーが入らないので、麓のところで降ろして帰ると言い出した!

へ~! ちょっと待ってよ。。
困ったぞ。。

急いで、麓で空いている畑の持ち主を捜すこと2時間、交渉(一升瓶を2本持って)の結果、、、なんとか1週間借りられる事になった。


ふ~っ!!


トレーラーの運転手は、よっしゃ!!といって、すかさず車をその場所に横付けて木材を降ろす反対側の車輪に角材を置きはじめ、それに乗り上げるようにしてバックし始めた。

そうしたら、ドド~ンっという音と地響きがあったと思ったら、丸太は全部地面の上に綺麗に山積み状態になった。

そご~い!! 拍手していたら

運チャンは ”んじゃ大阪に帰るんで。。” っと、早々に帰って行った。

私の口は、開きっぱなし。。


16


”夢のログハウス”回顧録-8

’89秋
麓で丸太を下ろして行かれたのは想定外であった!
なぜなら、現場で下ろしてもらうはずであったので、ログ建築現場まで約1Kmくらいの、山道の悪路をどうやって運ぶか考えてなかった?? トホホ(>o<)

12mの原木は、500Kg以上あるのでチェーンソーで半分(6m)にカット!
原木を運ぶのに車の手配をし、3tのツリトラをレンタルしたものの、初めてのクレーン操作は手こずった!(4tトラックはアルバイトで乗っていたので問題はないが)
丸太の効率よい積み方も分からず。。とにかくぶっつけ本番!

写真の人間のサイズから見て丸太の太さは分かってもらえると思うが、人間の力ではびくともしない。

若かったな~(*^ー゜)

23


”夢のログハウス”回顧録-9

’89冬

丸太の移動作業で筋肉痛、腰痛。。
1週間で移動でき、家族ともども骨休み!

晴れていると甲斐駒ケ岳が見るので気分爽快です。

小屋ができたおかげで、テント生活からお別れ!
冬でも家族で泊まることができましたが・・・寒いで~す!! 

テントから比べると極楽です!?

ブルーシートで囲っていたトイレもこれで、動物にも見られなくて、ゆっくり落ち着いてできるな~!

ログハウス作りに必須のチェーンソー!

プロが使用するタフなチェーンソーを2台用意した。

ハスクバーナー(スウェーデン製)とスチール(ドイツ製)で、ハスクバーナーは頑丈だが扱いはコツがいる、スチールは扱いやすい!!

1日中、チェーンソーを使っているとチェーンの歯が丸くなって切れ味が悪くなるため、何回かヤスリで刃を研ぐ必要がある。

のこぎりの歯と同じで、切れ味が悪くなると研いだりしますよね。

最初のうちは慣れないのでやればやる程切れなくなってしまった事もある。

トホホ・・・


49


”夢のログハウス”回顧録-10

基本は金曜の夜に現場に着くのでその日は寝るだけ。

翌日は朝から皮むき作業! これが一番堪える!! 

電動丸カンナでやると、とげが出てしまい危ないので皮むき道具(手前に歯が向いており、両側に握るグリップが付いている)を使うのだが、普段使わない筋肉(上腕三頭筋、三角筋、僧帽筋など背中の筋肉)が痛くなってくる!

家族と一緒に来ても、どこにも連れて行ってあげられず、雪が積もった時などは家族は小屋にいるだけ! 私は黙々と作業。。。

基礎作りでは、冬の間はコンクリート剤が固まりにくいので、基礎に取りかかれなかったが、ようやく着手できるようになったがこれも初めての作業!
ユンボで縦穴を掘り、捨てコンをし、固まるまで数日置いておく。


40


”夢のログハウス”回顧録-11

’90春

この白州は名水でも知られている!
車で5分程走ったところにサントリーの白州工場や尾白川(甲斐駒ケ岳からの雪解け水) など南アルプスの山から時間掛け濾過された美味しい水が、この場所の地下水にもあることが地元の方から教えていただきました。

その地下水を約100mボーリングしてもらい、汲上げるポンプ小屋も完成!! 

これで麓の部落で20リッターのポリタンクに水を分けてもらう必要がなくなりました。

2台目ランクル(ランドクルーザ80)で来ました!

本当は、60が好きでしたがトラブルが続きやむなく乗り換えました?


51


”夢のログハウス”回顧録-12

’90春

住居部分の基礎はボイド管を使い、ミキサー車に来てもらいセメントを流し込んでもらった。

でも素人が作る基礎工事なので、ここでドジったら全ておしまい(>o<)

まあっ!! その時はその時で考えよっと(*^ー゜)

あ~早く乾かないかな~、準備していた根太(角材)を早く載せたい!!

基礎も終盤、奥の風呂場部分にはボイド管ではなく、コの字型基礎でしっかり作りました。

風呂にはこだわり、風呂桶の枠は檜で底は鉄平石を引詰めた足をゆったり伸ばせる広さで、地下水からの名水を注ぎ薪で焚き、底の鉄平石からの遠赤外線と檜の香りで・・・極楽!・・・極楽!

という夢を見ながら今宵も星明かりが素晴らしい!


56


”夢のログハウス”回顧録-13

’90春終わり

日差しも緩やかに心地よいひと時が安らぎの場を与えてくれる!

森林に囲まれ回りに誰もいない!

首都圏では味わえないこの時空間!!


’90そろそろゴールデンウィークの時期

実は、この小屋があるおかげで、野生の動物から身を守る事ができました。

猿、猪、鹿、熊、などの獣道でもあったようで、テント生活の時は木の枝に引っ掛けていたゴミを時折荒らされていましたので、テントなんかはひとたまりもない状態でしたから??

天気も安定し、作業がはかどる!

基礎の上に1段目に乗る重要な根太の用意ができ。。さー早く乗せたい!!


’90ゴールデンウィーク

待望の根太が乗っかりはじめ、ログの一部が見えて来たぞ~!

イヤッホ~!!


’90ゴールデンウィーク終盤

GWなので友人が一杯来てくれて作業が捗り助かった!

根太(ネタ)も大半は出来上がった!!


62


”夢のログハウス”回顧録-14

’90夏

ようやく、1段目のログを乗せる用意ができた!

これからが、チェーンソーワークの真価が問われる!

チェーンソー技術次第で段組みの精度(隙間など)が決まってくる!

結構、慣れて来たとは云えども、油断は禁物!

油断すると身体を切ってしまう!。。 

ジェイソンの世界だ~~(>o<)。。

仲間や家族が来てくれると、食事は豪華である。

働いた後のBBQは格別美味しい~!!

下界では、真夏の時期ではあるが、ここは標高700mで林の中であるため涼しい~!
とは云っても作業中は汗をかく。。

あ~早く出来上がったら木陰でハンモックに揺られながらビ、ビ~ル!!飲んでくつろぎたいな?

クレーンは、必要な時に車で30分程の重機レンタル会社に行って借りていたが、これからはログの積み降ろしの作業が頻発するためレンタル会社と交渉し1年間のレンタル契約をした。

1人でクレーン操作するのは無謀で危険だがやるっきゃない!?

1人で皮むきの作業は、週末に1本半が精一杯。
その後、クレーンで持ち上げ位置調整をし、スクライバー(コンパスの様なもの)で下の丸太の形状を描いて、またクレーンで降ろしチェーンソーで溝をカットしまた乗っける!  という作業の繰り返しだが、仲間が来てくれたら皮むきを手伝ってもらう。


63


”夢のログハウス”回顧録-15

’90残暑

やっとこさ、2段目
は~!! 先が長いな~!

’90冬

クリスマスイブ前夜はとっても寒かったが、寄り添っての食事。

娘達は小学生!     まだできないの~~?って!


72


”夢のログハウス”回顧録-16

’91冬

スクライバーで描いた通りをチェーンソーで溝(W型)を作って行く。

積み上げの精度を上げるのは、ここが肝でもある。

’91春

ようやく6段を積み終えた!

ログとログのコーナー部分は、サドルノッチと云う工法で組み上げて行く。

サドルとは形が馬の鞍から来ているらしい?

サドル部分は表から見える部分なので、手は抜けない作業である。


8段目までくると家の壁らしさが感じられるようになった。

反面、高所作業が続き注意が必要になって来たぞ!


82


”夢のログハウス”回顧録-17

’91夏

夏の作業はやっぱり汗だくだく!

そんな時にシャワーができればと思い裏側のログの壁を使い湯沸かし器でシャワールームを作りました。

小型のプロパンを購入し湯沸かし器の燃料に!

もちろん水は、白州の水(南アルプスの天然水)を惜しげもなく浴びるこの快感!!

あ~!気持ちい~い!!

予定の12段を組終わり屋根の基礎となる棟上げができた!!

実は、この棟上げの際、最上部から地面まで落っこちた!

その際、一人作業していた時で20分近く地面で失神した状態。

そこに顔をなめる動物で意識が戻り一命を取り戻した?!

その動物は、近所(500mほど離れた)の犬のレトリバーであった。
時折、ふらりと遊びに来ていたが、今日来なかったら私は熊にでも喰われていたかもしれなかった!(>o<)

’91秋

家の形になってきた。。。感無量の一瞬でした!


87


”夢のログハウス”回顧録-18

’91秋

これからは、高所作業が続く!!

屋根部分の根太を張り終え、これからコンパネ、屋根材の行程で屋根ができてくる。。

屋根材を張りながら、蒔きストーブの煙突部分を立ち上げた!

ストーブはノルウェーでは山小屋には欠かせない薪ストーブとして不動の人気のヨツール(JOTUL)に決めた!!


89


”夢のログハウス”回顧録-19

’91秋終盤

建具(出窓、玄関ドア、など)はスエーデンから輸入し、到着してから原寸を元に丸太の壁をチェーンソーでカットして行った。

輸入建具は時として事前情報の寸法に誤りがある場合があり、そのままログをカットしてしまうと失敗し取り返しがつかなくなるのだぞ~!


98


”夢のログハウス”回顧録-20  5/14

’96冬

小屋の生活から一遍、ログハウスの中で過ごせる時が来た!

ゆったりドライブがやっとできる様になりました。

心身共にリラックスが出来る環境で、心理カウンセラーとして傾聴力を深め独りで悩むことの無い社会に貢献したいと思い始めたことでした。

91


”夢のログハウス”回顧録-21

の後に、この最初の投稿で紹介した、1997年12月 DIY雑誌(ドゥーパ!)の創刊号に掲載された”夢のログハウス”作りは、私にとって人生最高のチャレンジでした。

”男38歳、一念発起で作ったログハウス”を忘れず、これからも精進して行くために制作過程を回顧録として連載しますので、ご覧いただけると嬉しいです。

結果的にセラーピーの原点で後にカウンセラーの道に繋がりました。


----------------------------------------------------------------------

日本こころのケア協会

住所:東京都町田市森野1-36-2 セレステ町田1F

電話番号:042-709-6531

----------------------------------------------------------------------